項目ごとに分けてありますので、いろいろとみてみてください♪
赤坂の「坂」(現在地)
There are no plans for an English version at this time. I look forward to hearing from a person who can help translating Japanese into English.
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Hills of Akasaka赤坂の坂ここでは、赤坂の様々な「坂」について書いていきたいと思います。 歴史的にも有名な坂から、あまり人が通らない地元の人しか通らないようなレアな坂まで、いろんな坂があります。 名前が付いている坂には、坂の名称とその簡単な説明が書いてある「柱」がある所があります。これは港区が設置しているものです(右の写真をご覧ください)。坂の前後にありますので、赤坂周辺を散策する時には、ぜひ探してみてください。 ちなみに写真の柱は「桜坂」のものです。写真を撮影したのは2010年の春ですが、昨年までは風雨に晒されて汚れが目立つものでした。ちゃんと新しいものを作ってくれたんですね。傷や汚れが目立ちにくい素材ではなく、木のぬくもりが感じられるもので再度作ってくれているところに、設置者のこだわりを感じますね。 ※港区の担当者によれば、この柱状のものに特に名称は無いとのことでした^^;;; 稲荷坂(いなりざか)坂下北側に円融院があり、その境内の稲荷への門があったため、この名が付いたそうです。坂上に江戸城中清掃役の町があったため掃除坂ともいうそうです。 牛鳴坂(うしなきざか)赤坂から青山に抜ける厚木道で、路面が悪く車を引く牛が苦しんだため、この名が付いたそうです。さいかち坂ともいうそうです。 円通寺坂(えんつうじざか)元禄八年(1695年)に付近から坂上南側に移転してきた圓通寺の名称をとってこの名が付いたそうです。 紀伊国坂(きのくにざか)坂の西側に江戸時代を通じて紀州(和歌山県)徳川家の広大な屋敷があったことからこの名が付いたそうです。 九郎九坂(くろぐざか)江戸時代の一ツ木町名主秋元八郎左衛門の先祖九郎九が住んでいたためこの名が付いたそうです。鉄砲練習場があって、鉄砲坂ともいうそうです。 転坂(ころびざか)江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだために、この名が付いたそうです。坂下は氷川坂と交わります。 桜坂(さくらざか)明治の中期に作られた坂、といわれています。当時は、坂の下に大きな桜の木があり、それにちなんで「桜坂」と呼ばれたそうです。残念ながら、由来にもなった桜の木は空襲によって失われてしまいましたが、いまでは桜並木になっています。 三分坂(さんぷんざか)あまりにも急な坂なので、車賃を銀三分(今のお金でおよろ100円)追加して支払わないといけなかったので、この名前になったそうです。 新榎坂(しんえのきざか)赤坂インターシティの建築に伴って新しく作られた道で、榎坂町という町名が名前の由来と思われます。「榎坂」は麻布台一丁目と麻布台二丁目の境界のある坂なので、重複しないように「新」がつけられたものと思われます。 新坂(しんざか)できた当時は新しい坂の意味だったそうですが、開かれたのは古く元禄十二年(1699年)だったそうです。しんさかとも読むそうです。 丹後坂(たんござか)元禄(1688~)初年に開かれたと推定される坂で、その当時、東北側に米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)の邸があったためこの名が付いたそうです。現在では坂というよりも石段になっています。 弾正坂(だんじょうざか)西側に吉井藩松平氏の屋敷があり、代々弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが多かったためこの名が付いたそうです。青山通りをはさんで元赤坂と赤坂にまたがる坂です。 鼓坂(つづみざか)場所について諸説ありますが、新榎坂を登り、左カーブの手前にある左側の坂をいうものと思います。由来は調べておきます。 南部坂(なんぶざか)江戸時代初期に南部家中屋敷があったためにこの名が付いたそうです。「忠臣蔵」でも有名な坂です。険しいため難歩坂とも書いたそうです。 乃木坂(のぎざか)明治天皇の大葬の日、大正元年9月13日に乃木希典陸軍大将夫妻が殉死したことを悼みし、大正9年に区議会の決議によって幽霊坂は乃木坂と改名されました。 氷川坂(ひかわざか)八代将軍吉宗の命で建てられた氷川神社の正面から始まる長い坂です。氷川神社をはさんで反対側に本氷川坂があります。 檜坂(ひのきざか)江戸時代には、檜の木が多いために「檜屋敷」と呼ばれた長門萩藩毛利邸に添う坂だったためにこの名が付いたそうです。 福吉坂(ふくよしざか)かつて福吉町と呼ばれたことが名前の由来と思われます。現在では坂というよりも石段になっていますが、福吉町の名前を残す少ないもののひとつです。 本氷川坂(ほんひかわざか)坂の東側に本氷川明神があり、そこからこの名が付いたそうです。氷川神社をはさんで反対側に氷川坂があります。 薬研坂(やげんざか)真ん中が低く、漢方薬を作る時に使う「薬研(やげん)」に似ていることからその名が付いたそうです。 霊南坂(れいなんざか)慶長15年(1610年)嶺南崇六和尚が溜池付近の邸宅をもとにして開いた嶺南庵(いまの高輪にある東禅寺)が名前の由来です。いつしか「嶺」の字が「霊」と置き換わり、いまに至ります。 赤坂近郊の坂赤坂を散策するなら、ちょっと足を伸ばせばいろいろな観光スポットもあります。坂を見ながら散歩がてらでかけるのもいいでしょう。 汐見坂(しおみざか)江戸時代中期以前には海が眺望できた坂であったためこの名が付いたそうです。南側に松平大和守(幕末には川越藩)邸があって、大和坂ともいったそうです。 赤坂桜へのリンクについてこのサイトはリンクフリーですので特にご連絡は必要ありませんが、リンク先はトップページ(http://www.akasaka.konjiki.jp/)でお願いします。 ただし、公序良俗に反するサイトからのリンクはお断りいたします。 ・リンクバナー(200×40) *バナーへの直リンクはお止めください。 本網站的所有圖片、文章的版權帰Aoshima所有、未經許可禁止拷貝或使用! ご連絡はこちらからPowered by NINJA TOOLS
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